若林正恭がその独特の感性でキューバを描いた旅エッセイ《第3回斎藤茂太賞受賞作》『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
「夢を叶えましょう!」
「常にチャレンジしましょう!」
「やりがいのある仕事をしましょう!」
競争と成長を基本原理にしている資本主義社会での生活─────
「無理したくないんだよね・・・・・・」などと言おうものなら、ダメなやつと見なされる窮屈な世の中─────
「勝ち組」だとか「負け組」だとか。
「スペックが高い」とか─────いつから人間に「スペック」って言葉を使うようになった?
「超富裕層」・・・
「格差社会」・・・
「不寛容社会」・・・
「意識高い系」・・・
「マウンティング」・・・
「オワコン」・・・
─────新自由主義。
そんな社会に疲れた若さまは、5日間の夏休みを取り、
「他のシステムで生きている人間はどんな顔をしているんだろう?」
ぼくが経験したことのないシステムの中で生きている人たちで、なおかつ陽気な国民性だと言われている国。
ニューヨークや東京で見るような近代的な高層ビルはひとつも見当たらない。どの建物も年季がはいっている。まだ仄かに残っている街灯の明かり。道路脇に停まっている車はどれもクラシックカーだ。だいぶ先の汚れた煙突からは真っ黒い煙が吐き出されていて、海の方へふらふらと漂っている。汚くて古いのに、東京の街並よりも活力を感じるのはなぜだろう。(P59)
ぼくは笑っていた。「笑み」というレベルではなくて、口を押えてほとんど爆笑していた。これはどんな笑いなんだろう。誰かの顔色をうかがった感情じゃない。お金につながる気持ちじゃない。自分の脳細胞がこの景色を自由に、正直に、感じている。
今日からそれが3日間限定で許される。なぜなら、キューバに一人で来たからだ。(P60)
灰色の街から無関係になった若さまの眼前に広がるのは、太陽の光を浴びて色を伴った街、ハバナ。
ゲバラは言った。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
カバーニャ要塞の野良犬には、自由と貧しさを選んだ”気高さ”を感じた。
マレコン通りの堤防沿いには人が集まっていた。
「集まって何をしているんですか?」
マリコさんに聞いた。
「うーん、ただ話しているだけなんですよ」
キューバの街全体にはまだWi-Fiが飛んでいない。だから、みんな会って話す。人間は誰かと会って話をしたい生き物なんだ。
本心は液晶パネルの中の言葉や文字には表れない。
アメフトの話や、声や顔に宿る。
だから、人は会って話した方が絶対にいいんだ。(P193)
機会の平等によって結果の不平等か生まれる資本主義か─────
結果の平等を目指すが平等な機会が与えられない社会主義か─────
自分とは異なるシステムの社会を見た若さまが出した結論とは?
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
ぼくはマレコン通りを歩きながらスマホのイヤホンを耳に入れてイーグルスの『Take It Easy』の再生マークをタップした。アメリカと対立し続けてきた頑固なキューバの道をアメリカのバンドの曲を流して歩く。(P195)
「無理をしないで 気楽にいこうぜ」
「ねぇ、親父」