若林正恭がその独特の感性でキューバを描いた旅エッセイ《第3回斎藤茂太賞受賞作》『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
「夢を叶えましょう!」
「常にチャレンジしましょう!」
「やりがいのある仕事をしましょう!」
競争と成長を基本原理にしている資本主義社会での生活─────
「無理したくないんだよね・・・・・・」などと言おうものなら、ダメなやつと見なされる窮屈な世の中─────
「勝ち組」だとか「負け組」だとか。
「スペックが高い」とか─────いつから人間に「スペック」って言葉を使うようになった?
「超富裕層」・・・
「格差社会」・・・
「不寛容社会」・・・
「意識高い系」・・・
「マウンティング」・・・
「オワコン」・・・
─────新自由主義。
そんな社会に疲れた若さまは、5日間の夏休みを取り、
「他のシステムで生きている人間はどんな顔をしているんだろう?」
ぼくが経験したことのないシステムの中で生きている人たちで、なおかつ陽気な国民性だと言われている国。
ニューヨークや東京で見るような近代的な高層ビルはひとつも見当たらない。どの建物も年季がはいっている。まだ仄かに残っている街灯の明かり。道路脇に停まっている車はどれもクラシックカーだ。だいぶ先の汚れた煙突からは真っ黒い煙が吐き出されていて、海の方へふらふらと漂っている。汚くて古いのに、東京の街並よりも活力を感じるのはなぜだろう。(P59)
ぼくは笑っていた。「笑み」というレベルではなくて、口を押えてほとんど爆笑していた。これはどんな笑いなんだろう。誰かの顔色をうかがった感情じゃない。お金につながる気持ちじゃない。自分の脳細胞がこの景色を自由に、正直に、感じている。
今日からそれが3日間限定で許される。なぜなら、キューバに一人で来たからだ。(P60)
灰色の街から無関係になった若さまの眼前に広がるのは、太陽の光を浴びて色を伴った街、ハバナ。
ゲバラは言った。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるのですか?あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」
カバーニャ要塞の野良犬には、自由と貧しさを選んだ”気高さ”を感じた。
マレコン通りの堤防沿いには人が集まっていた。
「集まって何をしているんですか?」
マリコさんに聞いた。
「うーん、ただ話しているだけなんですよ」
キューバの街全体にはまだWi-Fiが飛んでいない。だから、みんな会って話す。人間は誰かと会って話をしたい生き物なんだ。
本心は液晶パネルの中の言葉や文字には表れない。
アメフトの話や、声や顔に宿る。
だから、人は会って話した方が絶対にいいんだ。(P193)
機会の平等によって結果の不平等か生まれる資本主義か─────
結果の平等を目指すが平等な機会が与えられない社会主義か─────
自分とは異なるシステムの社会を見た若さまが出した結論とは?
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』
ぼくはマレコン通りを歩きながらスマホのイヤホンを耳に入れてイーグルスの『Take It Easy』の再生マークをタップした。アメリカと対立し続けてきた頑固なキューバの道をアメリカのバンドの曲を流して歩く。(P195)
「無理をしないで 気楽にいこうぜ」
「ねぇ、親父」
音を楽しむボーダーレスな多数の個体から成る「超個体」が奏でるのは前衛的な次世代ポップ・ミュージック:Superorganism
大勢の外国人の大人たちにまぎれて、なにやら幼げな日本人の女の子がひとり。
Superorganism。
2017年に結成された8人組の多国籍バンド。
メンバーの国籍はイギリス、オーストリア、ニュージーランド、韓国、そして日本。
流暢な英語を話し、自分よりも10歳近く年上のメンバーの中でふてぶてしいまでに堂々とした存在感を放つのは、
埼玉出身のボーカル、オロノ。
本名、野口オロノ。生年月日は不明だが、2017年Superorganism結成当時17歳だったということなので、2020年の今年は20歳のはず。
幼い見た目の日本人の女の子が海外で活躍してるっていうと、それだけで応援したくなるわけだが、
本人は、そういう音楽とは関係のない余計な文脈を嫌う。
「I'm not Japanese!」
日本人が海外で注目されると、「うわ~、すげぇ!」みたいな反応になりがちじゃないですか。実際にどんな音楽やってるとか、そこの部分じゃなくて。自分はそんな感じで取り扱われるのすごい嫌なんですよ。(「8人のアウトサイダーたちが紡ぐ「スーパーオーガニズム」という物語」より)
自分、写真だけでみたら、まず小学生に見えるじゃないですか。「ネット発のカラフルなバンド」みたいに言われてるじゃないですか。でも、そこじゃないと思うんですよね。突くところが。もちろん「オロノはこう思っていて、音楽がこう良くて、だからSuperorganismはすごいんだ」って思ってくれる人がいるってわかっているんですけど。でも、ライブとか、ネットで「オロノちゃん、めっちゃかわいい!」みたいなのが面倒くさいんですよ。(同上)
この“型にとらわれる”ことをよしとしない考え方は、Superorganismの音楽そのものの在り方にも通じている。
バンドって出来た時から、特別なサウンドを持ってたりとか、「自分たちはこういうバンドです」とか言っちゃうのがほとんどじゃないですか。そういうのってクリエイティブな面から言うと、自分の本当にやいたいことを出来なくしてしまうと思うんですよ。最初から「自分たちはコレ」って言っちゃうと。だから、(中略)────
「とりあえず好きな音楽を作っていって、みんながどんな反応をしているのかを見ながら、ゆっくり”自分たち”の音楽を作っていこうよ」みたいな感じでした。(「初来日公演決定!アルバム到着前に紐解くSuperorganismのあまりにも無邪気な真性ポップの断面」より)
オロノが Superorganismのボーカルになったきっかけは、当時グループのメンバーの一部で組んでいたバンド、エヴァーンズの来日。その公演を観に行ったオロノは楽屋にまで行ってメンバーと仲良くなり、その後のFacebookでのやり取りを通して、
「オロノは才能あるから、一緒にバンドやらない?」
新プロジェクトであるSuperorganismのボーカルとして誘われたんだとか。
現在はオロノを含む7人がロンドンの一つの家で生活を共にしているが、楽曲の制作はインターネットを介して行い─────
メンバーの中にソングライターが何人かいて、彼らがファイルを送ってくれて、それに他のメンバーが自分の得意な部分を足していって、その音源がミックスとドラムをやっているメンバーのところに行って出来上がりみたいな感じですね。
音楽を作ろうとしているわけではなく、皆が音を付け加えていく中で自然とそう───サイケデリックな音に───なるんだと思います。(「Superorganism初来日公演直前!~日本を離れて暮らすオロノが語る、バンドのユニークさを形作るポップへの愛と野心」より)
そこには「戦略」的なものはない。
彼らの多くの楽曲に用いられている、スマホの着信音だったり、駅の発車メロディ、地震警報音だったり、ゲーム音などのサンプリングも意図して用いられたものではなく、あくまで─────
「曲に合いそうだからやってみただけ」。
水の音や、缶を開ける音、靴で音を出したり、おもちゃを使ってみたり。
いかなるものにも囚われることがないSuperorganismが無邪気に奏でる楽しげなサウンドとキャッチ―な楽曲に、
音楽ってこういうことだよなあ─────
そう思わずにはいられないだろう。
NPR Music Tiny Desk Concert
SET LIST
"The Prawn Song"
"Night Time"
"Something for Your M.I.N.D."
"Everybody Wants To Be Famous" (Live at SXSW)
Nai's March
参考ウェブサイト(引用元)
どちらかと言うと、エイヤーではじめの一歩を踏み出しちゃったドンキホーテ型起業家向けの『はじめの一歩を踏み出そう―成功する人たちの起業術』
”高い理想をもち、地道な努力を重ねた起業家が成功を勝ち取る”
そんな美化された華やかなサクセスストーリー───著者がE-Myth(Entrepreneur Myth「起業家の神話」)と呼んでいるもの───に騙され、勢いで起業してしまう人が多いですが、
現実には、
米国では驚くほど多くの人が、会社を立ち上げては失敗しているのである。毎年100万人以上が会社を立ち上げる一方で、1年目に40%の会社が、5年間では80%以上、つまり80万社!が姿を消している。そして、たとえ5年間生き延びたとしても、つぎの5年で残りの80%が姿を消す運命にある。(P17)
たいていの起業家は、予想もしなかった仕事に追われ、本業に手が回らず、自分が始めた事業に苦しめられているのが実情です。
独立は、他人のために働くという苦痛から解放されることを意味していたにもかかわらず。
3年前にパイの専門店をオープンさせたサラもそんな一人。
「サラ、あなたのパイはこんなに美味しいのに、お店を出さないなんてもったいないわ!」という親友の言葉を信じ、誰の支持も受けずに働ける自由を夢見て、パイ専門店をオープンさせましたが、
帳簿だの、資金繰りだの、事業計画だの・・・・店の経営に疲れ果て、大好きだったパイを焼くことさえ嫌になってしまいます。
本書は、そんなサラが経営コンサルタントの「私」に相談するお話。
じゃあ考えてみよう。お店の経営がきみの才能や人柄、そしてやる気に依存しているのなら、きみがいなくなれば、お客さんもどこか他の店に行ってしまう。そうだろう?これはきみの能力や時間を、商品として切り売りしているだけなんだ。このままでは、きみの能力や時間の限界以上に事業を広げることはできない。本当なら、きみがいなくても、お客さんが満足するような仕組みをつくらなければならないんだよ。(P55)
他人に任せることができないかぎり、あなたは自分が始めた事業の奴隷になってしまうからである。逆に言えば、これを解決するようなアイデアさえ思いつけば、あなたにも自由と成功の道が開けることになる。(P116)
事業目標の考え方から戦略的目標の立て方、組織図の重要性、管理システムの構築、業務マニュアルの作成といったことから、電話でのやり取り、顧客に対する声の掛け方、制服についてのルールといったことまで、
失敗しないためのアドバイスがいろいろ書かれてあり、
どちらかというと、これから起業しようとしている人に対して「はじめの一歩を踏み出そう」って応援したり背中を押すようなものではなく、
軽い気持ちで起業しようとしている人を思いとどまらたり、注意喚起するような感じ。
もしくは、経営が行き詰っている起業家に対するアドバイス。
多くの起業家は、スモールビジネスを通して、世界を変えようという高い志をもちながら、自分だけは変わろうとしないのである。その結果、やりがいのあるはずの仕事も、苦痛にみちたものになってしまう。(P263)
そりゃそうなんだよね。
だって、親友におだてられて調子に乗って起業して経営に行き詰ってる人に対してアドバイスする内容なんだから。
なのにどうして邦題を『はじめの一歩を踏み出そう』にしちゃうかね?
(原題はThe E-Myth Revisited:Why Most Small Business Don't Work and What to Do About It)
個人的には、「米国では驚くほど多くの人が、会社を立ち上げては失敗している」って言うけど、
何がいけないの?いいじゃん失敗しても。
うだうだ言ってないでとりあえずやってみようぜ。
やらないと何も始まらないし、失敗して学べばいいんじゃないの?
逆に失敗しないと、大きな学びは得られないと思うよ。
って考え方なので、デイル・ドーテンの『仕事は楽しいかね?』の方が好き。
『仕事は楽しいかね?』で失敗を恐れずにチャレンジして、
それで行き詰ったら『はじめの一歩を踏み出そう』を読む。
そんな感じがよろしいのではないでしょうか。
あなたの選んだ起業家の道は、決して平たんものではありません。また、安定とはほど遠いものでしょう。だからこそ面白いのです!それは本当の人生の道───ロロ・メイは「自由の道」と呼ぶかもしれませんが───なのです。メイはこう書いています。
「自由とは、ある問題に対して賛否を表明することだけではない。自由とは、自分自身を創造する力である。自由とは能力であり、ニーチェの言葉を借りれば『私たちの本当の姿になること』である」(P261)
必要なのはポエムじゃない。周りの脳みそを惹きつけるセクシーな頭脳なんだ!!『仕事は楽しいかね?《最終講義》』
今回、マックスから講義を受けるのは、これまでの2作とは異なり、マックスの甥の<僕>とそのフィアンセ・アンジェリーナ。
高校時代からの友人が勤め先の大企業で”異例の大抜擢”を受けて、「なぜ彼女がそんなに評価されるのか?私は全然パッとしないのに」と悩むアンジェリーナに、僕は提案します。
「僕のおじさんに会いに行こう。きっといい知恵を貸してくれるよ」
『仕事は楽しいかね?《最終講義》』
世の中には、「あいつはめちゃくちゃ仕事ができる」「めちゃくちゃ優秀」と周りから評価されている人がいますが、その人たちの多くは、いわゆる天才といわれるような特別な頭脳を持っているわけではありません。
”優秀である”ための資質は、実は誰にでも備わっているものなんです。
優秀であるかどうかは、その資質を生かせているかどうかという問題に過ぎません。
人と接するときは、常に相手の無限の価値を忘れてはならない
カラスという鳥は、「6」までしか数を数えることができないそうです。
6人の猟師が森に入って5人出てきたら、まだ1人森に残っていることが分かりますが、7人入って6人出てきたら、カラスは、もう猟師は残っておらず安全だと思ってしまうそうです。
7以上の数字が存在することすら知らないカラスは、「自分は、事態を完全に把握している」と。
それと同じことは人間にも言うことができます。
何も分かっていない上司ほど、自分はいろんなことを知っていると勘違いしていることが分かったんだ(P110)
優秀な人ほど謙虚であると言います。
それはもちろん、自分が知らないということを認識しているからに他なりませんが、それだけでは「優秀」とは見なされませんよね。
彼らは、自分の頭脳に限界があることを理解しているのです。
だから、一人ですべてを把握しようとは考えず─────
人間は、単なる分子とホルモンの集合体ではありません。
私たちはみんな、計り知れない価値を持った存在です。(P53)
人と接するときは、”常に”相手の無限の価値を”忘れてはならない”んだ。(P54)
彼らは周囲の人と、頭脳のネットワークを築くのです。
誰が知っているか分かっていれば、自分が知っているのと同じだ。(P118)
大統領付きの医師としてホワイトハウスで働いたコニー・マリアーノ博士。自分がいつも熱くなりすぎる猪突猛進タイプであることを知っていた彼女は、自分の代理を務める人物に、頭脳的で分析的なリチャード・タブ博士を選びました。
なぜ彼女は、自分とはまるで真逆のタイプの人間を選んだのでしょうか?
それは、彼女が自分の限界に気づいたからに他なりません。
だから、彼女は自分にはない新しい脳みそを加えたわけです。
すばらしい発想ですね。
この考え方は、過去の哲人に学ぶことの重要性を訴えていたセネカを思い起こさせます。
「自分の時代に、すべての時代を付け加えることができるからだ。彼が生まれる以前に過ぎ去っていったあらゆる年月が彼の年月に付け加えられるのである」(中澤務 訳『人生の短さについて』光文社古典新訳文庫)
最高の人材ほど、答えよりも多くの質問を持っている
優秀な人材になるためには、自分の集合的頭脳に新しい脳みそを加えていく必要があります。
あらゆる機会を捉えて、積極的に大勢の人に出会って巨大な脳のコネクションを作り上げていくということ─────
オーケー、じゃあ”頭脳の高鳴り”について話すことにしよう。巨大な頭脳を作り上げたいと思ったら、その灰色のやつをスムーズに働かせなくちゃならない。周りのみんなに、きみのことを、きみのために、きみと一緒に考えてもらうんだ。きみの話を聞くことに喜びを感じるあまり、脳みそが激しく高鳴るくらいにね。(P124)
周りの人の脳みそを惹きつける頭脳を持つということ。
それこそが、セクシーな頭脳。
たとえば、
元ブロックバスターのオンライン部門責任者、シェーン・エバンジェリスト。
郵便でDVDをやり取りするインターネット事業を成功させるためには、顧客からの注文にどれだけ効率的に応えられるか、にかかっていることは分かっていたが、どうすればいま以上に効率化が図れるのか彼には全く分からない。そこでシェーンは、スタッフのところに行ってこう言った。
「この一連の作業を、そうだな、50秒で済ませられる方法がないもんかと思ってるんだけど・・・・・・」
そうするとスタッフは、なんと、その作業を40秒に短縮させたとか。
すごくよく分かりますよね。
上司から「〇〇できるように考えろ」って指示されると、「やだなー」とか「なんで俺が?」って思ってしまうものですが、
「〇〇できるようにならないかなあ」と悩んでいる上司を見れば、「よし、俺がなんとかしてやろう」って、自ら率先して解決策を考えてあげたくなるものです。
従業員であろうと経営者であろうと関係ない。質問することが答えを導くんだ。セクシーな頭脳の素晴らしい実例じゃないかね?(P132)
自分と違うアイデアを持つ人々との出会いは、知識を増やす1つの方法
人は自分のアイデアをあまり口にしたがらず、実際、アイデアがあっても黙っている傾向があるといいます。
しかし、有能な人々は助けを求められると喜んで力になってくれます。
したがって、自分が分かっていないことを受け入れ謙虚に質問するで、有能な人たちから素晴らしいアイデアを引き出すことができるのです。
聡明な人間は謙虚なんだ。賢者は決してうぬぼれない。鋭い眼識を持つがゆえに謙虚になるんだ。そしてそれが、最高の人材ほど、答えよりも質問を多く持っている理由であり、頭脳のネットワークを持っている理由なんだ。(P112)
- 自分の限界を知り、自惚れないこと。
- 人と接するときは、常に相手の無限の価値を信じること。
- あらゆる機会を捉えて、積極的に多くの人と交わること。
- 自分が分かっていないことを受け入れ、謙虚に質問すること。
優秀な人から感じられる人間の深み─────
それは、
どれだけ深く周りの人について学ぶか、ということに他ならないのです。
中間管理職に告げる。官僚主義的な煩わしい業務から直ちに部下を解放せよ!!そして″優秀な″管理職になれ『仕事は楽しいかね?2』
前作『仕事は楽しいかね?』でマックスから教わったことを実践してみると、トントン拍子に昇進し、数十人の部下を抱えるまでに出世を果たすことができましたが、
毎日やっていることと言えば、部下にあれやこれや指示を出したり、へまをした部下の尻拭いしたり・・・・そんなことで明け暮れる日々。
─────こんなことのために出世したかったわけじゃない。
中間管理職という悩み。
<私>は再びマックスに相談してみることにします。
『仕事は楽しいかね?2』
最高の人が働くのにふさわしい最高の場所
企業にとって、優秀な人材とはどのような人のことでしょうか?
- 上司にいちいち指図されなくても、自ら考えて行動してできる人。
- 信頼できて、管理する必要がなく、上司の手を煩わせない人。
- 組織をより高いレベルに引き上げられる人。
- 独創的な考え方が出来る人
- 新たな行動規範を打ち立てられる人 などなど・・・・
では、
”ほんもの”の人材を集めるためにはどうすればいいのでしょうか?
人材を募集する時に、高い給料や待遇を提示すれば、企業が求める”ほんもの”の人材を採用することができるのでしょうか?
マックスは言います。
本当の意味で優れた人材が何を求めているかを把握してしまえば、彼らを雇うのに多額のお金なんて必要ないことがわかると思うよ。(P21)
”ほんもの”の人材は共通して、次のものを職場に求めると言います。
- 自由
- 変化
- チャンス
自由───優れた上司は、常にお役所的な体制と戦っている
部下は、以下のような上司を”いい上司”と考えます。
- 信頼してくれる上司
- お役所主義から解放してくれる上司
- いちいち干渉しない上司
上司は、以下のような部下を”いい部下”と考えます。
- やるべきことを自分よりもよくわかっていて、求めるべきものを、彼/彼女のほうから教えてくれる部下
- 彼/彼女のすることにはなんの心配もいらない部下
つまり、上司も部下も互いに管理する/されることから解放されたいと考えているわけです。
指図ではなく信頼するんだ。信頼に書類は必要ない。(P32)
部下のパフォーマンスが最大限に発揮できるような職場環境をつくるのは管理職の仕事。
ですから、
優秀な上司は、お役所的な環境だったり、官僚主義的な煩わしい手続きによる不自由から部下を解放してやり、優秀な部下を惹きつける職場をつくる必要があるのです。
2.変化───優秀な部下は多くの可能性を示す
”ほんもの”の部下が職場に求める2つ目のものは「変化」です。
彼らは常に「何かが起こること」を期待し、問題が起こった時などには、素晴らしい力を発揮するものです。
部下がのんきに構えていれば、それ変化を与える合図だ。(P80)
彼らにとって、マンネリや同じことの繰り返しの毎日は苦痛以外のなにものでもありません。したがって優秀な上司は、彼らを退屈させない環境に置く必要があります。
私はその人の能力より少し上の仕事をさせます。のんきに構えてなんかいられないところに放り込むんです。お気楽な雑用係など、必要ありませんから。(P80)
また、部下の中には、自分の才能に気づいていない人も少なくありません。彼ら/彼女らの才能を引き出し、気づかせてあげられることも、優れた上司の資質と言えます。
言うなれば、最初は部下として”優秀”と言えなくても、育て方を熟知した指導者から刺激を受けることで優れた部下になっていけるということだね。(P85)
3.チャンス───きわめて優秀な部下は決まって起業家タイプ
”ほんもの”の部下が職場に求める最後の1つは「チャンス」です。
優れた部下というのは目立ちたがり屋なんだ。自分の能力の高さを知っていて、それを証明するチャンスをねらっている。力を試せる場に出たいと思っている。(P97)
きわめて優秀な部下は、決まって起業家タイプだ。新しいプロジェクトを次から次へと考えださなければ、彼らの関心をつなぎとめておくことはできない。(P97)
そして、その企業にチャンスを感じることができれば、たとえ条件が良くなくても、”ほんもの”の人材は集まると言います。
なぜでしょう?
それは、優秀な人材は次のように考えるからです。
給料よりもっと大切なもの、つまりチャンスと変化が得られることをね。この上司のもとでなら、きっとチャンスに恵まれる、収入ならあとからついてくると信じられるんだ。(P60)
最高の仕事は人間同士の結びつきから生まれる
互いに管理する/管理されることを嫌い、互いに高め合える優秀な上司と優秀な部下。仕事の価値観を同じくする上司と部下が一緒になることの強みは、
互いに助け合える関係が構築できるところ─────
実際、有能な上司と部下が手を取り合うと何がすごいって、上下関係が一切なくなって、一つになることなんだ。(P91)
マックスはそういった上司と部下の関係のことを”同盟”と呼びます。
優れた上司と部下の同盟は才能の結びつきであり、その絆の多くは生涯切れることがない。(P174)
─────それが上司と部下との理想の関係。
仕事は楽しくなきゃだめだ。職場から笑い声が聞こえてこなければ、きみのやり方は間違っているということだろうね。(P195)
目標・計画クソ食らえ。失敗を恐れずチャレンジすることを楽しむ冒険者であれ!!『仕事は楽しいかね?』
この本って、平易な文章で物語仕立てだからとても読みやすいうえ、刺さるフレーズも多いから、読後に一時的に得られる満足感は高いんだけど、
あとでよく振り返ってみると、
結局、目標と計画は必要なんだっけ?とか
<目標の弊害>や<論理的な思考が見落としているところ>は、「試す」ことにどういうふうに繋がってるんだっけ?とか
そもそも全体的な構成、章と章のつながり、論理の展開がどうなってるんだっけ?とか
もともと論理の飛躍を起こしてしまっているのか、はたまた訳者の力量の問題なのかは分かりませんが、
そういうわけで、筋道を立ててきちんと理解しようとすると、意外に結構やっかいだったりします。
───────────────────────────────────────────────────────
物語の舞台は、大雪で閉鎖されてしまったオヘア空港。
出世もできず誇れるものも何もない35歳の冴えないサラリーマンの<私>の前に、70歳前の老人・マックスがきて話しかける。
日ごろの憤懣と将来に対する失望感をぶちまけた<私>に対して、マックスは成功するための秘訣をレクチャーします。
たいていの人はマンネリ化した生活から抜け出すために目標を設定します。しかし、それによって現状を打破できたり、成功を収められる人はほとんどいません。
その主な理由は2つあります。
①人は計画を立てることに依存しすぎており、<目標の弊害>と言える状態に陥っている
われわれは、「目標」はとても大事なもので、達成すべくそれに向かって努力しなければならないもの、断念してはいけないもの、「計画」はその通りに進なければいけないもの、守るべきものと教育されます。
しかし、マックスはそれを真っ向否定します。
僕たちの社会では、時間や進歩に対して直線的な見方をしている。そういう見方を、学校でじわじわと浸透させるんだ───人生とは、やるべき仕事や習得すべき技術や到達すべきレベルの連続なのですよ。目標を設定して、それに向かって努力しなさい、とね。だけど、人生はそんなに規則正しいものじゃない。規則から外れたところでいろんな教訓を与えてくれるものだ。
コカ・コーラだって、チョコチップ・クッキーだって、ジーンズ(リーバイス)だって、計画して作られたものではありません。
偶然の産物です。
事業も仕事も、世の中のほかのすべてのことと同じだ。つまり、偶然の連続だってこと。多くの人が”計画どおりの結果になるものはない”という使い古された決まり文句にうなずくのに、相変わらず大勢の人が計画を立てることを崇め奉っている。計画立案者はもっと少なくてよくて、まぐれ当たり専門家こそもっとたくさん必要なのにね。(P61)
これらのものを発見したり生みだした人たちは、決して運がよかったというわけではありません。
なぜなら、チャンスはそれらの人の前だけに現れているわけではなく、われわれの前にも平等に訪れているからです。
たとえば、
あなたが薬屋の経営者だとして、従業員がバックヤードで売り物のシロップ状の薬を水で薄めて飲んでいたとしたら、あなたはどうしますか?
または、
あなたがテント用の帆布の巻物を売り歩いているときに、「ズボンありますか?」って聞かれたらどうしますか?
多くの人は、
そんな従業員を厳重注意したり解雇したり、
「ズボンありますか?」って聞いてきた人に対して「あるわけないだろ」
って思うのではないでしょうか。
ほらーー。
そうやって、
多くの人は、目の前に現れた、コカ・コーラやジーンズを生みだすチャンスをみすみすふいにしてしまっているんです。
きみはたぶん何十もの素晴らしいアイデアに、目の前を通り過ぎさせてきてしまってるとおもうよ。新しい考えを受け入れるのは、簡単じゃない。実際、僕たちの文化では、”一つのことに集中している”のがよいとされているしね。(P117)
なぜそうなってしまうのでしょうか。
それは「目標」と「計画」に固執しているからです。
目標を、それに向かって努力すべきもので決して断念してはいけないものとして捉えることは、目標とは関係ないことに対する無関心に繋がります。
計画を、守らなければいけないものとして捉えることは、計画してないことはやる必要がない、計画したことしかやらないということに繋がってしまいます。
それが<目標の弊害>と言われる状況です。
大事なことは、目標や計画に執着したり縛られたりしないこと。
目標や計画なんて、
そんなもん、どんどん断念して、どんどん変えていけばいいんです。
一度目標を決めて計画を立てたら、あとは進捗管理するだけ───
そんなのはやってる気にはなるかもしれないけど、何もしていないのと同じこと。
逆に、常にいろいろなことを試して、毎日、目標や計画を更新していくぐらいでないと全然ダメだと言うことです。
だから僕は、たった一つの目標しか持っていない。毎日毎日、違う自分になること。これは”試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すことは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ。(P49)
②”論理的な思考が見落としているところ”にこそ、本当に学ぶべきことがある
多くの人は、成功を目指して、模範的な人の真似をしたり、「成功したければこうしなさい」と教えられてきたことをしています。
マックスは言います。悲劇的なことだと。
なぜならば、それは誰もが考えることであり、他のみんなと似たり寄ったりの考えに行き着こうとしていることに他ならないから。
彼らが、他人を凌駕する人材になろうとしてしていることは、他人と同じような人間になろうとしていることに他ならないから。
この競争でだれが勝利を収めるのか?
だれも。これは全員が負けるゲームなんだ。(P112)
では、どうすればいいのでしょうか?
彼は明快な真理を述べた。「他人を凌ぎたいと思うなら、まず最初に越えるべき、だけど一番難しいステップは、”並みの人”をやめることだ」(P83)
ウォルト・ディズニーは、もしスタッフの中に経営管理学修士(MBA)を持つ人がいたら『気は確かですか。そんなくだらないもの、カットしてください。プロットには何の影響もないでしょう』と批判するであろうほど、作品の細部に多大の労力と時間を割いたと言われています。
他にはないディズニー映画の魅力─────
それは、論理的に考えたら誰もやらないようなことをやったところにあるわけです。
つまり、”論理的な思考が見落としているところ”が意味するものは、
論理的な思考の行き着く先には「凡庸」なものしかないということです。
大事なのはそこだ。論理だてて考えたりすれば、問題は必ず解決できるなんて、そんな印象をきみに持ってほしくないからね。(P145)
成功者はみんな失敗を恐れない冒険者
目標や計画に縛られず、論理的な思考にも囚われず、失敗をも恐れずに、いろんなことにどんどんチャレンジし続けよう。
何かをやってみて、それがろくでもないアイデアだとわかったとき、きみはもとの場所に戻ることは絶対にない。必ず何かを学ぶからだ。学ぶべきことが何もなかった場合は、その前にしていたことに高い価値をおくべきだってこと。そういう意味で僕は、試してみることに失敗はないというのは真実だと思っている。(P88)
明日は今日と違う自分になろう─────それは、ただひたすら、より良くなろうとすること。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。
いいかい、できることはどんどん変えてごらん。みんなが、きみが変えていることに気がつくくらいに何でも変えるんだ。好奇心を旺盛にすること。実験好きな人だと評判になったら、みんなのほうからアイデアを持ってきてくれるようになる。(P129)
人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的に行き着く先がまったく分からないところにあるんです。
さっき話した人たちはだれ一人、立派なビジョンを持って、それに向かって突き進んでいたわけじゃない。彼らはみんな、目標設定者でも計画立案者でもなかった。彼らは─────
冒険者だったんだ。(P149)
神が定めた残酷な法則に支配された世の中で困難に抗う人々の姿を描いた漫画版マルサス『人口論』
すべての生物は、神が定めたある法則に支配されている
- 食糧は人間が生存するために必要
- 男女の性欲は必然で将来も変わらない
この前提から導き出される法則は─────
”人口は等比級数的に増加するが、食料は等差級数的にしか増加しない”
ということ。
つまり、生殖本能によってネズミ算式に増えうる人間に対して、
米や小麦、家畜が育つ土地は有限であるため、食糧は足し算でしか増えないということ。
そして、人口の増加力と土地の生産力が釣り合わなくなったときに─────
生活資糧をめぐる搾取・強奪・・・殺人・・・堕胎・・・間引き・・・果ては戦争・・・
人間は「悪徳」と「悲惨」を生みだして、人口増加を抑制する。
─────それこそが「人口の原理」。
「人間は「人口の原理」による悪徳と悲惨の社会に永遠に支配される。永遠に」
「あなたは・・・・・・残酷だ」
しかし、人間を「個」ではなく「集団(マス)」として捉えれば、「人口の原理」に対する考え方も変わってくるのではないか?!
「人間はもともとなまけ者です」
もし人間の住む場所がずっと飢えも寒さもない楽園だったら、我々は何もせずにずっと未開人のままでいたのではないか
人間の悪徳だけじゃなく、干ばつや伝染病・・・地震など様々な問題が、もともとなまけ者の人間を肉体的に困窮させたことにより、知的好奇心が刺激され、発展してきた人類の歴史
それこそが、「必要は発明の母」という偉大な心理
「人口の原理」に支配された残酷社会でも、希望はとめどなく人の心に生じる
そう。
「人口の原理」に由来するこの世の悪は、人を絶望させるためにあるのではない。
─────行動させるためにあるのだ。
この世の悪にただ耐えるのではない
悪をなくすために最大限の努力をすることが
すべての人間の義務である
(トマス=ロバート・マルサス)