目標・計画クソ食らえ。失敗を恐れずチャレンジすることを楽しむ冒険者であれ!!『仕事は楽しいかね?』
この本って、平易な文章で物語仕立てだからとても読みやすいうえ、刺さるフレーズも多いから、読後に一時的に得られる満足感は高いんだけど、
あとでよく振り返ってみると、
結局、目標と計画は必要なんだっけ?とか
<目標の弊害>や<論理的な思考が見落としているところ>は、「試す」ことにどういうふうに繋がってるんだっけ?とか
そもそも全体的な構成、章と章のつながり、論理の展開がどうなってるんだっけ?とか
もともと論理の飛躍を起こしてしまっているのか、はたまた訳者の力量の問題なのかは分かりませんが、
そういうわけで、筋道を立ててきちんと理解しようとすると、意外に結構やっかいだったりします。
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物語の舞台は、大雪で閉鎖されてしまったオヘア空港。
出世もできず誇れるものも何もない35歳の冴えないサラリーマンの<私>の前に、70歳前の老人・マックスがきて話しかける。
日ごろの憤懣と将来に対する失望感をぶちまけた<私>に対して、マックスは成功するための秘訣をレクチャーします。
たいていの人はマンネリ化した生活から抜け出すために目標を設定します。しかし、それによって現状を打破できたり、成功を収められる人はほとんどいません。
その主な理由は2つあります。
①人は計画を立てることに依存しすぎており、<目標の弊害>と言える状態に陥っている
われわれは、「目標」はとても大事なもので、達成すべくそれに向かって努力しなければならないもの、断念してはいけないもの、「計画」はその通りに進なければいけないもの、守るべきものと教育されます。
しかし、マックスはそれを真っ向否定します。
僕たちの社会では、時間や進歩に対して直線的な見方をしている。そういう見方を、学校でじわじわと浸透させるんだ───人生とは、やるべき仕事や習得すべき技術や到達すべきレベルの連続なのですよ。目標を設定して、それに向かって努力しなさい、とね。だけど、人生はそんなに規則正しいものじゃない。規則から外れたところでいろんな教訓を与えてくれるものだ。
コカ・コーラだって、チョコチップ・クッキーだって、ジーンズ(リーバイス)だって、計画して作られたものではありません。
偶然の産物です。
事業も仕事も、世の中のほかのすべてのことと同じだ。つまり、偶然の連続だってこと。多くの人が”計画どおりの結果になるものはない”という使い古された決まり文句にうなずくのに、相変わらず大勢の人が計画を立てることを崇め奉っている。計画立案者はもっと少なくてよくて、まぐれ当たり専門家こそもっとたくさん必要なのにね。(P61)
これらのものを発見したり生みだした人たちは、決して運がよかったというわけではありません。
なぜなら、チャンスはそれらの人の前だけに現れているわけではなく、われわれの前にも平等に訪れているからです。
たとえば、
あなたが薬屋の経営者だとして、従業員がバックヤードで売り物のシロップ状の薬を水で薄めて飲んでいたとしたら、あなたはどうしますか?
または、
あなたがテント用の帆布の巻物を売り歩いているときに、「ズボンありますか?」って聞かれたらどうしますか?
多くの人は、
そんな従業員を厳重注意したり解雇したり、
「ズボンありますか?」って聞いてきた人に対して「あるわけないだろ」
って思うのではないでしょうか。
ほらーー。
そうやって、
多くの人は、目の前に現れた、コカ・コーラやジーンズを生みだすチャンスをみすみすふいにしてしまっているんです。
きみはたぶん何十もの素晴らしいアイデアに、目の前を通り過ぎさせてきてしまってるとおもうよ。新しい考えを受け入れるのは、簡単じゃない。実際、僕たちの文化では、”一つのことに集中している”のがよいとされているしね。(P117)
なぜそうなってしまうのでしょうか。
それは「目標」と「計画」に固執しているからです。
目標を、それに向かって努力すべきもので決して断念してはいけないものとして捉えることは、目標とは関係ないことに対する無関心に繋がります。
計画を、守らなければいけないものとして捉えることは、計画してないことはやる必要がない、計画したことしかやらないということに繋がってしまいます。
それが<目標の弊害>と言われる状況です。
大事なことは、目標や計画に執着したり縛られたりしないこと。
目標や計画なんて、
そんなもん、どんどん断念して、どんどん変えていけばいいんです。
一度目標を決めて計画を立てたら、あとは進捗管理するだけ───
そんなのはやってる気にはなるかもしれないけど、何もしていないのと同じこと。
逆に、常にいろいろなことを試して、毎日、目標や計画を更新していくぐらいでないと全然ダメだと言うことです。
だから僕は、たった一つの目標しか持っていない。毎日毎日、違う自分になること。これは”試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すことは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ。(P49)
②”論理的な思考が見落としているところ”にこそ、本当に学ぶべきことがある
多くの人は、成功を目指して、模範的な人の真似をしたり、「成功したければこうしなさい」と教えられてきたことをしています。
マックスは言います。悲劇的なことだと。
なぜならば、それは誰もが考えることであり、他のみんなと似たり寄ったりの考えに行き着こうとしていることに他ならないから。
彼らが、他人を凌駕する人材になろうとしてしていることは、他人と同じような人間になろうとしていることに他ならないから。
この競争でだれが勝利を収めるのか?
だれも。これは全員が負けるゲームなんだ。(P112)
では、どうすればいいのでしょうか?
彼は明快な真理を述べた。「他人を凌ぎたいと思うなら、まず最初に越えるべき、だけど一番難しいステップは、”並みの人”をやめることだ」(P83)
ウォルト・ディズニーは、もしスタッフの中に経営管理学修士(MBA)を持つ人がいたら『気は確かですか。そんなくだらないもの、カットしてください。プロットには何の影響もないでしょう』と批判するであろうほど、作品の細部に多大の労力と時間を割いたと言われています。
他にはないディズニー映画の魅力─────
それは、論理的に考えたら誰もやらないようなことをやったところにあるわけです。
つまり、”論理的な思考が見落としているところ”が意味するものは、
論理的な思考の行き着く先には「凡庸」なものしかないということです。
大事なのはそこだ。論理だてて考えたりすれば、問題は必ず解決できるなんて、そんな印象をきみに持ってほしくないからね。(P145)
成功者はみんな失敗を恐れない冒険者
目標や計画に縛られず、論理的な思考にも囚われず、失敗をも恐れずに、いろんなことにどんどんチャレンジし続けよう。
何かをやってみて、それがろくでもないアイデアだとわかったとき、きみはもとの場所に戻ることは絶対にない。必ず何かを学ぶからだ。学ぶべきことが何もなかった場合は、その前にしていたことに高い価値をおくべきだってこと。そういう意味で僕は、試してみることに失敗はないというのは真実だと思っている。(P88)
明日は今日と違う自分になろう─────それは、ただひたすら、より良くなろうとすること。人は<違うもの>になって初めて<より良く>なれるんだから。
いいかい、できることはどんどん変えてごらん。みんなが、きみが変えていることに気がつくくらいに何でも変えるんだ。好奇心を旺盛にすること。実験好きな人だと評判になったら、みんなのほうからアイデアを持ってきてくれるようになる。(P129)
人生は進化だ。そして進化の素晴らしいところは、最終的に行き着く先がまったく分からないところにあるんです。
さっき話した人たちはだれ一人、立派なビジョンを持って、それに向かって突き進んでいたわけじゃない。彼らはみんな、目標設定者でも計画立案者でもなかった。彼らは─────
冒険者だったんだ。(P149)