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人生100年時代は楽しく、クールで、セクシーに!!

音楽にアートとサイエンスを融合しポストヒューマンに向けて壮大ないたずらを仕掛ける天才アーティスト:やくしまるえつこ


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メディアの露出が少なく、謎の多い天才アーティスト・やくしまるえつこ

 

 

歌手であり音楽プロデュー。ティカ・α名義で作詞作曲も手掛け、他のアーティストに楽曲提供も行っている。有名なところで言うと、ももいろクローバーZの『Z女戦争』やセーラームーンOPテーマ『ニュームーンに恋して』も彼女が作詞作曲したもの。

 

 (やくしまるえつこ作詞作曲『Z女戦争』のセルフカバー) 

 

 

女性が作詞作曲して自分で歌うと、どうしてもそれだけで作品にそういう記号性が付加されてしまう。だから、それを無効化するためには、名義を変えて作詞作曲を行う必要があるという。

 

 

音楽に「届けよう」という思いや「拾ってください」「聴いてください」というような、聞く人に受け取ることを強制するような気持ちを込めることは不要とし、 

 

空調の音やカーナビ、時報のように誰も意識して聞こうとしない、耳を澄ませていない状態で聞かれる音に関心を持っているという彼女の歌声は、脱力癒し系。

(ちなみに、先の『Z女戦争』は、やくしまるえつこ史上最も声を張らせて息を切らすほどに頑張って歌っているものだと思う)

 

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やくしまるえつこ率いるバンド名が「相対性理論」だったり、公演タイトルが「実践」・「解析」・「立式」・「位相」・「幾何」・「回折」・「証明」というのは、科学者である父親の影響を受けたものであり、

 

その究極的な形と言えるのが、遺伝子工学を用いて微生物のDNAを組み込んだ楽曲『わたしは人類』。

 

『わたしは人類』という微生物のDNAには、トランスポゾンという転移することによって突然変異をひき起こす配列が組み込まれていて、曲の元になっているのもその配列なんです。そしてその塩基配列をフレーズ化したものが、楽曲のなかにあらわれます。

  

それは、アートとサイエンスと音楽の融合であり、

 

 

人類が滅んだあと、微生物に埋め込まれた音楽の配列をポストヒューマンが解読したとき、どのような結果を生むかは彼らの解釈しだいです。この音楽がどのように鳴るかは読みとり手に任せられている。

  

人類が滅んだあとのポストヒューマンに向けたメッセージでもあり、

 

 

ポストヒューマンもきっと、『わたしは人類』という微生物に隠された仕掛けに気づくと思うんです。結果的にそれが、人類の壮大ないたずらで、生物の種の存続とは無関係の、音楽という種の存続のためのものだったなんて頗る楽しいじゃないですか。

 

 

『わたしは人類』アルスエレクトロニカ授賞式 / Etsuko Yakushimaru - “I’m Humanity” (Prix Ars Electronica Gala 2017)    

 

 

 

 『わたしは人類』(変異ver. at YCAM) / Etsuko Yakushimaru - “I’m Humanity” (Mutated at YCAM)

 

 

 

ポストヒューマンに対すして仕掛ける、人類の壮大ないたずら。

 

 

卓越した越境性と先進性─────

 

 

その作品は、もはや「音楽」を超えた「宇宙」そのもの。

  

 

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自分の性質として、ひとと一線を引きがちなタイプだとうのはわかっているので、だからこそ、やる音楽についてはポップであることは最初から心がけていました。

そうじゃないとヘンな人になっちゃうもん。それより、まっとうな社会性を持って生きていきたいので、オフィスに出勤するような感覚でポップな音楽を作っています。

 

   

 

7分超えもその長さを全く感じさせない名曲『ノルニル』

 

 

 輪廻をテーマにした楽曲 『少年よ我に帰れ』


 

 参考ウェブサイト(引用元)

  

みみずくんとの闘いに力尽きたかえるくん亡き後、片桐は東京を守ることができるのか?村上春樹『かえるくん、東京を救う』

 

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

 

 

アニメ『輪るピングドラム』の中で、陽毬ちゃんが探していた本が村上春樹の短編小説集『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)の中に収録されている『かえるくん、東京を救う』。

 

ストーリーとしては、

ある日、40歳独身の冴えないサラリーマンの片桐が仕事から帰ると、家に巨大な蛙(かえるくん)が居て、3日後に東京に大地震が起こって15万人の死者が出ると。で、それは地底に住むみみずくんが引き起こすものだから、一緒にみみずくんをやっつけて、東京を救おうっていうお話。

 

 

文学とアニメっていうのは、表現方法においてすごく似てるなあと思うところがあって、それはメタファーが用いられるところなんだけど、

 

『かえるくん、東京を救う』なんてまさにそういう作品で、

 

 

「かえるくん」とか「みみずくん」が何のことだか分からないと、

 

「・・・・で?」

 

って感じになってしまう作品なのではなのではないかと思います。

 

 

片桐

物語の主人公・片桐は40歳で独身のしがないサラリーマンです。壁の薄い安アパートに一人で暮らしています。

仕事は、信用金庫で、16年間ずっと、誰もやりたがらない返済金の取り立てを担当し、やくざに囲われ殺してやると脅されることもありました。

両親を早くに亡くし、自分ひとりで弟と妹の面倒を見、大学にも行かせ、結婚までさせてあげました。

 

 

そんな片桐の前に突然現れたかえるくんは、言います。

 

 

かえるくん ─────

人がやりたがらない地味で危険な仕事を16年間も愚痴のひとつも言わずに黙々とやってきたのに評価されないのはおかしいと。

 

 

また、

 

これまで自分の時間と収入を大幅に犠牲にして育ててあげたあなたに対して、恩を仇で返すようなことばかりしているあなたの弟と妹を、ぼくがわりにぶん殴ってやりたいんだと。

 

 

かえるくん。

それが意味するものは、不平、不満、文句。殴りたい、怒りの感情─────

 

 

 

そして、かえるくんは、みみずくんについて説明します。

 

 

みみずくん─────

みみずくんは地底に住んでいて、腹を立てると地震を起こす。そして今みみずくんはひどく腹を立てているんだと。

 

「みみずくんがその暗い頭の中で何を考えているのか、それは誰にもわからないのです。みみずくんの姿を見たものさえ、ほとんどいません。彼は普段はいつも長い眠りを貪っています。地底の闇と温もりの中で、何年も何十年もぶっつづけで眠りこけています。当然のことながら目は退化しています。脳味噌は眠りの中でねとねとに溶けて、なにかべつのものになってしまっています。実際の話、彼はなにも考えていないのだと僕は推測します。彼はただ、遠くからやってくる響きやふるえを身体に感じとり、ひとつひとつを吸収し、蓄積しているだけなのだと思います。そしてそれらの多くは何かしらの化学作用によって、憎しみというかたちに置き換えられます・・・・・・」

 

 

みみずくん。

それが意味するものは、ストレスやイライラ。梶井基次郎檸檬』における「えたいの知れない不吉な塊」のようなもの─────

 

 

 

 

生態ピラミッドにおけるカエルとミミズの関係を考えてみると、カエルが上位の捕食者で、ミミズは下位の被食者です。カエルはミミズを食べる(消化する)ことで食物連鎖が成り立っています。

 

つまり、普段は、不平、不満、文句を言ったり怒りの感情を表現すること(=かえるくん)で、ストレスやイライラ(=みみずくん)を消化しているわけですが、

 

 

かえるくんの数が少なくなったり、かえるくんがお腹いっぱいなっちゃったり(文句を言えなかったり、怒りの感情を出せなかったり)、みみずくんが増殖しちゃったり(過剰なストレスや過多なイライラを受けたり)すると、生態系が崩れ、さらなるみみずくんの大量発生や巨大化を促す(ストレスやイライラが憎しみに変わる)わけです。

 

 

片桐は、上司から評価されなくても弟妹から感謝されなくても、愚痴や文句を言うことはありませんでした。でも実際は、心の奥底に不満が蓄積され爆発寸前だったわけです。

 

 

よくありますよね。気が弱くておとなしい人がプッツンして凶悪な事件を引き起こしちゃうってこと。

 

 『涼宮ハルヒの憂鬱』で言うと、精神状態が不安定になったハルヒが創り出す閉鎖空間のようなものだったり、

魔法少女まどか☆マギカ』で言うと、魔法少女ソウルジェムが真っ黒くなって魔女に変わってしまうようなことだったり。

 

  

 

もちろん最後に病室で破裂したかえるくんの身体から這い出してきた蛆虫やむかでなどの暗黒の虫も、かえるくんが捕食したものなので、みみずくんと同類のものであることは言うまでもありません。

 

 

はたして、

かえるくんが阻止した、みみずくんによる東京の大地震とは何だったのでしょうか?

かえるくんは、なぜ、みみずくんの大地震を阻止することができたのでしょうか?

かえるくんがいなくなってしまった後、片桐はどのような生活を送っていくのでしょうか?

 

 

村上春樹の傑作短編小説『かえるくん、東京を救う』

 

 

東京には、ひどいものはとくにこれ以上必要ないものね。

今あるものだけでじゅうぶん

 

神に人を信じることを許されなかった男が自らに下した最後の審判 それは『人間失格』

 

人間失格

人間失格

 

 

太宰治の自伝的小説であり、また太宰治は本作を書き上げた1か月後に玉川上水で入水自殺したことから、遺書であるとも言われている『人間失格』。

 

新潮文庫の発行部数が夏目漱石の『こころ』に次いで2番目に多いとのことですが、あまりにも暗くて重たい内容なので、読むに堪えないという人も少なくないのではないでしょうか。

 

 

内容的には、

 

小さい時から自分だけが他の人と全く異なっているような不安や恐怖を抱いた結果、人間不信に陥った大庭葉蔵が、心中未遂、自殺未遂などを繰り返し、最終的には薬物中毒で廃人なっていく経緯を描いたもので、

 

 

不安、恐怖、苦痛、戦慄、復讐、残酷、嘲笑、絶望、懊悩、憂鬱、不信、孤独、震撼、邪慳、嘔吐、陰鬱、陰惨、白痴、狂人、敗者、軽薄、屈辱、侮蔑、蔑視、凄惨、軽蔑、嫌悪、地獄・・・・

 

ネガティブワードのオンパレード。

 

 

だけども面白い。 

 

 

何度も自殺未遂を繰り返し、薬物中毒になった自己破滅型作家の遺書とも言われている作品にもかかわらず、実際に作品を読んでみると、そこまで暗くて重たい印象は受けないんですよね。

 

 

きっと、太宰治の文章には、

 

  1. 圧倒的な文章表現力の高さ、
  2. 作中、大庭葉蔵にも演じさせていた「道化」、と
  3. 世間に対する諦めの境地

 

があるからだと思うわけですが、2.と3.がこの作品を魅力的なものにしているとすれば、それは皮肉としか言いようがありません。

 

 

なぜならば、「道化」と「諦め」は、太宰治が幼少の頃から苦しんできた、人間に対する怖れと不信感から生まれたものに他ならないからです。

 

 ・・・・・・(人間というものについて)考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変わっているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。

 

 

そこで考え出したのは、道化でした。

 

 

自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼等がどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるでちっとも見当がつかず、ただおそろしく、その気まずさに堪える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。

 

 

自分を大庭葉蔵という他者に置き換えることで、自分は第三者的な道化者として、自分を客観的に描いた太宰治──────

 

 

人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できなかったのです。父に訴えても、母に訴えても、お巡りに訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。 

 

 

必ず片手落のあるのが、わかり切っている、所詮、人間に訴えるのは無駄である、自分はやはり、本当の事は何も言わず、忍んで、そうしてお道化をつづけているより他、無い気持なのでした。

 

 

 

大庭葉蔵こと太宰治の人格形成に大きな影響を与えたものは何だったのでしょうか?

 

 

 

人間失格』は、母親に関する記述がほとんどないため、母親の性格や人となり、葉蔵が母親に対してどう思っていたのかを窺い知ることはできません。

 

それは太宰治が「母は病弱だったため、生まれてすぐ乳母に育てられた。」(Wikipedia)ことによるものだと思われますが、

 

 

一方、父親については強烈な記述がなされています。

 

 

何という失敗、自分は父を怒らせた、父の復讐は、きっと、おそるべきものに違いない、いまのうちに何とかして取りかえしのつかぬものか、とその夜、蒲団の中でがたがた震えながら・・・・・・

 

父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜けたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張り合いが抜けました。苦悩する能力さえ失いました。

 

 

この怯え方は尋常ではありません。

 

 

人間失格』を読むと、太宰治の自己破滅型の人格は、幼少期に父親から虐待によって、形成されてたのではないかと思わざるをえません。

 

 

母親が近くにいればこのようなことにはならなかったのかもしれませんし、 

 

葉蔵が、年上の女性や子供がいる女性と関係を重ねたのは、彼女たちに「母性」を求めたからなのではないかと思うわけです。

 

 

そんな、人を信じることができず、世間を怖れ、破滅的な女性関係にはまりこみ、絶望の淵に立たされていた葉蔵の前に現れたのは、

 

 

人を疑うことを知らない「信頼の天才」・ヨシ子。

 

 

 

ヨシ子との生活に歓楽を得られたかに思えた葉蔵だったが────────

 

 

 

 

ヨシ子の無垢の信頼心は、(中略)一夜で、黄色い汚水に変わってしまいました。

 

 

 

 

ひとを疑う事を知らなかったゆえの惨劇

 

 

 

神に問う。信頼は罪なりや。 

 

嗚呼、信頼は罪なりや?

 

 

太宰治が最後に書いた太宰文学の金字塔『人間失格

 

 

 

・・・・・・だめね。人間も、ああなっては、もう駄目ね

 

あのひとのお父さんが悪いのですよ

 

 

私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、

 

 

・・・・・・神様みたいないい子でした 

 

 

魔女の予言に唆され最期まで幻影・妄想に振り回された<無敵>の暴君『マクベス』

 

マクベス (光文社古典新訳文庫)

マクベス (光文社古典新訳文庫)

 

 

ヘエエエイ、マクベース!

ヘエエエエイ、マクベース!

 

 

の訳で有名な安西徹雄訳『マクベス』(光文社古典新訳文庫

 

 

3人の魔女の予言に唆され、

ダンカン王を暗殺し、スコットランド王となったマクベス

 

 

自分の地位を失う恐怖から不安分子を次々に排除していく。

 

 

マクベス)「驚くことはない。いったん悪を始めたからには、悪を重ねること以外、強くなる道はどこにもないのだ」

 

 

 

しかし、罪悪感と猜疑心から次第に不安に蝕まれていく。

 

 

不安から逃れたい一心で、再び魔女の予言を受けるマクベス

 

 

 

(第一の幻影)「マクダフに気を付けろ」

(第二の幻影)「女から生まれた者が、マクベスを傷つけることはない」

 

 

なら、マクダフも女から生まれてないわけはないから怖れることはない。

 

 

 

(第三の幻影)「マクベスは敗れない、バーナムの森が攻めてくるまでは」

 

 

森が攻めてくることもあり得ない。

 

 

マクベスの安泰はゆるぎないものとなったかに思われた────

 

 

 

 

マクベス)「雑兵どものわめく声は、いつもいつも「敵が来た、敵が来た!」。バカ者どもが。この城が落ちるものか。敵がいくら包囲して攻め立てようと、屁でもない。笑いとばしてやるばかりだ」

 

 

マクベス)「もうこれ以上、報告などいらん。逃げたいやつは、みな逃がしておけ。バーナムの森がダンシネインに押し寄せてくるまでは、おれは怖れもたじろぎもせんからな」

 

 

(使者)「陛下、見たと思うところをご報告せねばなりませんが、どう申し上げればよいのか・・・・」

 

 

マクベス)「いいから、言え」

 

 

(使者)「丘に立って、見張りについてバーナムの森の方を見たところ、とつぜん森が動きだしたような気が────」

 

 

 

妄想が生み出す惨劇

 

 

シェイクスピアの作品の中でもひときわ陰惨な悲劇

 

マクベス

 

 

 

かかってこい、マクダフ!

先に「待て」と叫んだやつが地獄堕ちだ!

思い通りに行かない鬱屈した日常を破壊するための最終兵器、それは黄金色に輝く一つの『檸檬』

 

檸檬

檸檬

 

 

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか────

 

病気を患い、借金を抱える主人公の「私」。

 

思い通りに行かないことによる焦りと苛立ち。

 

 

好きな音楽を聴く気にもなれず、好きな詩を読む気にもなれず、

あんなに憧れていた丸善にも行く気になれない・・・・

 

鬱屈した思いで目的もなく京都の街を徘徊する日々。

 

 

 

そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。

 

 

 

 

そんな「私」の心を惹きつけたもの────

 

 

それは、ありふれた八百屋に並べられた 檸檬だった。

 

 

レモンエロウの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形の恰好も。(中略)始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来たとみえて、私は街の上で非常に幸福であった。

 

 

 

ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなるほど、しっくりした感覚。 

 

 

 

────つまりはこの重さなんだな。────

 

 

 

檸檬を手にした「私」は、湧き上がる誇らしい気持ちに興奮を覚え丸善に向かう。

 

 

 

自分にとって何が幸福なのか? 

 

 

 

大好きだった画集にはもう魅力を感じなくなった自分に気づいた「私」は、

 

 

画集をゴチャゴチャに積み上げて、その頂きに黄金色に輝く怖ろしい爆弾を仕掛け、なに喰わぬ顔をして丸善を後にする。

 

 

 

実体としての檸檬による、焦燥や不安といった実体のない感情の破壊

 

 

 

色彩豊かな事物と心情の変化を詩的に描いた近代文学の名作

 

梶井基次郎檸檬

 

 

 それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。

 

 

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(TVアニメ『文豪ストレイドッグス』より)

エリスとの愛か立身出世か?近代自我の確立と挫折のドラマ 森鴎外『舞姫』

 

現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)

現代語訳 舞姫 (ちくま文庫)

  • 作者:森 鴎外
  • 発売日: 2006/03/01
  • メディア: 文庫
 

 

これまで父親の遺言を守り、母親の教えに従い、人から神童と褒められるのが嬉しくて、上司からは「いい働き手を得た」と言われるのを喜びに努力してきた太田豊太郎

 
 
 
学問の道を歩むようになったのも、官吏の道を歩むようになったのも、
 
 
────みな勇気あって為したことではない
 
 
 
近代都市ベルリンの自由な空気に触れたことで、これまで奥深く潜みかくれていた真の自分が漸く表面に現れた豊太郎
 
 
 
昨日までの自分でない自分────
 
 
 
消極的で器械的人物から能動的人物へ
 
 
 
「我ならぬ我」から「まことの我」へ
 
 
 
従来の価値観から新しい価値観へのパラダイムの転換を試みるが・・・・
 
 
 
 
(豊太郎)「ああ、独逸に来た初めに、自ら自分の本領を悟ったと思って、再び器械的人物にはなるまいと誓ったが、これは足をしばって放たれた鳥が暫らく羽を動かして自由を得たと誇ったと同じようなことではないか」
 
本国での立身出世か────
 
 
  
(エリス)「私の心の楽しさを想像して下さい。産まれる子はあなたに似て黒い瞳を持っているでしょう。この瞳、ああ、夢でいつも見たのはあなたの黒い瞳です。その黒い瞳を持った子が生まれたら、あなたは正しい心で、よもや私生児などにして、他の名を名乗らせたりはなさらないでしょう」
 
ドイツでのエリスとの生活か────
 
 
 
 
(エリス)「どう ご覧になります?この心がまえを」
 
 
 
 
近代自我の確立と挫折のドラマ
 
 
 

人は運命の列車を乗り換えることができるのか?運命とは?家族とは何かを描いた問題作『輪るピングドラム』


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このアニメがおもしろい①  

2011年の7月から放送されたアニメ『輪るピングドラム』(まわるピングドラム

 

 

どういうアニメなのか、まず、見たまんまのストーリーを言うと、

 

親のいない3人兄弟が掘っ立て小屋のようなボロい家で暮らしていたが、重度の病気を抱えていたかわいい妹がついに死んでしまう。病院で2人の兄が泣いていると死んだはずの妹が、ペンギンの帽子を被った状態で「生存戦略!」と言って起き上がる。妹は奇跡的に蘇ったが、それ以来、事あるごとにペンギン帽を被ってハイレグ姿のドSキャラに変身し、2人の兄に「妹を助けたければ、ピングドラムを手に入れろ」とわけのわからない命令する・・・・

 

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というもの。

 

あまりのブッ飛んだ内容に、「なんじゃこりゃ」「わけ分からん」と思う人も少なくないのではないかと思います。

まるで『銀河鉄道の夜』を始めて読んだときのように。

 

 

しかし、このアニメは、話の中に多くのモチーフが散りばめられた作品になっています。

まるで『銀河鉄道の夜』のように。

 

 

まずはそのタイトル。『輪るピングドラム

なぜ「まわる」に「輪る」という漢字をあてたのか?

 

それは、「輪」で「廻(まわ)る」。

すなわち「輪廻」をテーマにしているからです。

まるで物語の中に円形のものや回転する物体がたくさん出てくる『銀河鉄道の夜』のように。

 

 

そして、第1話で、3人兄弟の家の前を通る2人の子どもがこんな会話をします。

 

「だからさ、リンゴは宇宙そのものなんだよ。手のひらに乗る宇宙、この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ」

「あっちの世界?」

「カムパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ」

「それとリンゴになんの関係があるんだ」

「つまり、リンゴは愛による死を自ら選択したものへのご褒美でもあるんだよ」

「でも死んだら全部おしまいじゃん!?」

「おしまいじゃないよ、むしろそこから始まるって賢治は言いたいんだ」

「全然わかんねーよ」

「愛の話なんだよ、なんでわかんないかなぁ」

 

そう、まさに『銀河鉄道の夜』なのです。

 

 

冒頭で、話の展開のうえでは直接関係ない第三者に作品のテーマを語らせる手法や、モチーフの散りばめ方、物語の構造からテーマに至るまで、

 

輪るピングドラム』は『銀河鉄道の夜』をベースにして作られたアニメに他なりません。

 

 

それに気が付くと、いろいろなことが見えてきます。

 

たとえば、3人の兄弟の名前。

冠葉(かんば)と晶馬(しょうま)と陽毬(ひまり)。

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「冠葉(かんば)」っていう変わった名前は、

 

───きっとカムパネラに由来しているのでしょう。

 

であれば、「晶馬(しょうま)」がジョバンニで、「陽毬(ひまり)」はザネリ?

 

ということは、冠葉は陽毬のために・・・・なーんて想像も膨らみます。

 

 

さらに謎の少女・荻野目苹果(おぎのめりんご)の存在。

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「りんご」の漢字が「苹果」となっていることから、それが『銀河鉄道の夜』における最重要アイテムを意味する人物であることが分かると思います。

 

 

 

そして、『輪るピングドラム』を構成するもう一つの大きなテーマは、タイトルロゴの下に書かれたマークで表わされます。

 

丸(円)で囲われた「95」と電車(とペンギン)のマーク。

  

 

20代の人はピンと来ないかもしれませんが、95年で電車と言えば───

 

 

そう、地下鉄サリン事件です。 

 

 

3人の兄弟が住んでいる場所は荻窪オウム真理教が拠点としていた場所に他なりません。

 

そして、「荻窪」「池袋」「新宿御苑前」「赤坂見附」と、物語は丸ノ内線上で展開していくことになります。

 

 

つまり、地下鉄サリン事件の現場となった丸ノ内線を、死者の世界に向かう銀河鉄道に重ね合わせて描いたアニメ、それが『輪るピングドラム』というわけです。

 

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僕は運命って言葉が嫌いだ。

 

生まれ、出会い、別れ、成功と失敗、人生の幸・不幸、それらが予め運命によって決められているのなら、僕達は何のために生まれてくるんだろう。

 

裕福な家庭に生まれる人、美しい母親から生まれる人、飢餓や戦争の真っ直中に生まれる人。

 

それらがすべて運命だとすれば、神様って奴はとんでもなく理不尽で残酷だ。

 

あの時から僕達には未来なんてなく、ただきっと何者にもなれないってことだけははっきりしてたんだから。 

 

 

3人の兄弟の両親はなぜいないのか?

 

 

銀河鉄道の夜』でジョバンニのお父さんもいません(帰ってきません)でした。そして周りの人たちはジョバンニの父親は犯罪者で監獄に入っていると言い、ジョバンニをいじめました。

 

 

このことを、95年の事件を扱ったアニメに翻訳すれば、3人の親は───────

 

 

「あの人たちのせいだ。父さんと母さん。僕は絶対に許さない。だってそうだろう?多蕗(たぶき)だけじゃない。今でも大勢の人たちが僕たちを恨んでる。皆あの二人のせいじゃないか。陽毬の病気だって」

 

 

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親の罪は子供の罪になるのか?

子供はどこまで、親のした事の責任を負わなければならないのだろうか?

 

 

人は何のために生まれるのか。

 

あくせく毎日を過ごすためだけに人が創られたのだとしたら、それは何かの罰なのかそれとも皮肉なジョークなのか・・・

 

そんなんじゃ遺伝子にプログラムされた生存戦略に忠実な動物の方がよっぽどシンプルで美しい。

 

もしこの世界に神様と呼べるものがいるのなら、そいつに一つだけ聞きたい。

 

人の世界に運命は本当にあるのか。

 

 

「家族」とは何か?

 

「運命」とは何か?

 

 

「運命の果実を一緒に食べよう」

 

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愛するということは、すべてを分け合うことだった。

 

 

私は運命って言葉が好き。

信じてるよ。いつだって、一人なんかじゃない。

 

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