人は運命の列車を乗り換えることができるのか?運命とは?家族とは何かを描いた問題作『輪るピングドラム』
このアニメがおもしろい①
2011年の7月から放送されたアニメ『輪るピングドラム』(まわるピングドラム)
どういうアニメなのか、まず、見たまんまのストーリーを言うと、
親のいない3人兄弟が掘っ立て小屋のようなボロい家で暮らしていたが、重度の病気を抱えていたかわいい妹がついに死んでしまう。病院で2人の兄が泣いていると死んだはずの妹が、ペンギンの帽子を被った状態で「生存戦略!」と言って起き上がる。妹は奇跡的に蘇ったが、それ以来、事あるごとにペンギン帽を被ってハイレグ姿のドSキャラに変身し、2人の兄に「妹を助けたければ、ピングドラムを手に入れろ」とわけのわからない命令する・・・・
というもの。
あまりのブッ飛んだ内容に、「なんじゃこりゃ」「わけ分からん」と思う人も少なくないのではないかと思います。
まるで『銀河鉄道の夜』を始めて読んだときのように。
しかし、このアニメは、話の中に多くのモチーフが散りばめられた作品になっています。
まるで『銀河鉄道の夜』のように。
まずはそのタイトル。『輪るピングドラム』
なぜ「まわる」に「輪る」という漢字をあてたのか?
それは、「輪」で「廻(まわ)る」。
すなわち「輪廻」をテーマにしているからです。
まるで物語の中に円形のものや回転する物体がたくさん出てくる『銀河鉄道の夜』のように。
そして、第1話で、3人兄弟の家の前を通る2人の子どもがこんな会話をします。
「だからさ、リンゴは宇宙そのものなんだよ。手のひらに乗る宇宙、この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ」
「あっちの世界?」
「カムパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ」
「それとリンゴになんの関係があるんだ」
「つまり、リンゴは愛による死を自ら選択したものへのご褒美でもあるんだよ」
「でも死んだら全部おしまいじゃん!?」
「おしまいじゃないよ、むしろそこから始まるって賢治は言いたいんだ」
「全然わかんねーよ」
「愛の話なんだよ、なんでわかんないかなぁ」
そう、まさに『銀河鉄道の夜』なのです。
冒頭で、話の展開のうえでは直接関係ない第三者に作品のテーマを語らせる手法や、モチーフの散りばめ方、物語の構造からテーマに至るまで、
『輪るピングドラム』は『銀河鉄道の夜』をベースにして作られたアニメに他なりません。
それに気が付くと、いろいろなことが見えてきます。
たとえば、3人の兄弟の名前。
冠葉(かんば)と晶馬(しょうま)と陽毬(ひまり)。
「冠葉(かんば)」っていう変わった名前は、
───きっとカムパネラに由来しているのでしょう。
であれば、「晶馬(しょうま)」がジョバンニで、「陽毬(ひまり)」はザネリ?
ということは、冠葉は陽毬のために・・・・なーんて想像も膨らみます。
さらに謎の少女・荻野目苹果(おぎのめりんご)の存在。
「りんご」の漢字が「苹果」となっていることから、それが『銀河鉄道の夜』における最重要アイテムを意味する人物であることが分かると思います。
そして、『輪るピングドラム』を構成するもう一つの大きなテーマは、タイトルロゴの下に書かれたマークで表わされます。
丸(円)で囲われた「95」と電車(とペンギン)のマーク。
20代の人はピンと来ないかもしれませんが、95年で電車と言えば───
そう、地下鉄サリン事件です。
3人の兄弟が住んでいる場所は荻窪。オウム真理教が拠点としていた場所に他なりません。
そして、「荻窪」「池袋」「新宿御苑前」「赤坂見附」と、物語は丸ノ内線上で展開していくことになります。
つまり、地下鉄サリン事件の現場となった丸ノ内線を、死者の世界に向かう銀河鉄道に重ね合わせて描いたアニメ、それが『輪るピングドラム』というわけです。
僕は運命って言葉が嫌いだ。
生まれ、出会い、別れ、成功と失敗、人生の幸・不幸、それらが予め運命によって決められているのなら、僕達は何のために生まれてくるんだろう。
裕福な家庭に生まれる人、美しい母親から生まれる人、飢餓や戦争の真っ直中に生まれる人。
それらがすべて運命だとすれば、神様って奴はとんでもなく理不尽で残酷だ。
あの時から僕達には未来なんてなく、ただきっと何者にもなれないってことだけははっきりしてたんだから。
3人の兄弟の両親はなぜいないのか?
『銀河鉄道の夜』でジョバンニのお父さんもいません(帰ってきません)でした。そして周りの人たちはジョバンニの父親は犯罪者で監獄に入っていると言い、ジョバンニをいじめました。
このことを、95年の事件を扱ったアニメに翻訳すれば、3人の親は───────
「あの人たちのせいだ。父さんと母さん。僕は絶対に許さない。だってそうだろう?多蕗(たぶき)だけじゃない。今でも大勢の人たちが僕たちを恨んでる。皆あの二人のせいじゃないか。陽毬の病気だって」
親の罪は子供の罪になるのか?
子供はどこまで、親のした事の責任を負わなければならないのだろうか?
人は何のために生まれるのか。
あくせく毎日を過ごすためだけに人が創られたのだとしたら、それは何かの罰なのかそれとも皮肉なジョークなのか・・・
そんなんじゃ遺伝子にプログラムされた生存戦略に忠実な動物の方がよっぽどシンプルで美しい。
もしこの世界に神様と呼べるものがいるのなら、そいつに一つだけ聞きたい。
人の世界に運命は本当にあるのか。
「家族」とは何か?
「運命」とは何か?
「運命の果実を一緒に食べよう」
愛するということは、すべてを分け合うことだった。
私は運命って言葉が好き。
信じてるよ。いつだって、一人なんかじゃない。